獣的小宇宙ワイルドコスモっていうのはどうだろうか
家の裏に山があった。正確には知らないがそのいくつかは家の持ち物で、よく遊びに行った。
山に手はほとんど入っておらず、道と呼べるものは獣道しかない。
茂みに入り、崖から落ちて肩を脱臼したことがある。
動かぬ右手を億劫に思いながら家へと帰ると、擦り傷と汚れた服を見咎めらた後に病院へと連れて行かれた。
医師らは泣かぬ僕を誉めてくれたが、親戚たちは気味悪がった。
憑かれ仔という言葉は、彼らにとって便利な言葉だったのだろう。
今ならわかる。
僕が忌み嫌われていた。
憑かれ仔だったから。
けれどおかしなものである。
僕は彼らに望まれた子供のはずである。僕が憑かれ仔であればよいと彼らが望んだのだ。家を継ぐ権利を持たず、君の悪い子供としてあれ、と。彼らが望んだ。にも関わらず、好かれることはなかった。
子供の頃は、それが不思議であった。
今はわかる。憑かれ仔だったからだ。
…………便利だ。
大叔母に連れて行ってもらった場所を覚えている限り上げようと思う。
蔵。山。川。温泉。銭湯。プール。花見。公園。遊園地。ゲームセンター。本屋。神社。飲食店。出店。文房具店。美術館。服屋。デパート。
大抵の場所には連れて行ってもらったと思う。
ただの子供好きかとも思うが、弟と比べてもやはり僕のほうが可愛がられていたと思う。
大叔母は女三人の長女であった。後継ぎの期待が否応ナシにかかったが、若くして子供が産めないことがわかり期待は次女へと移った。祖母である。そこで曽祖父が死に、大勢の親戚はいたが直系という一点のみにおいて祖母が家権を継いだ。男女差別も真っ青である。家権は祖母から娘、それから一瞬僕に引き継がれた。今はどうなっているのか知らない。もうすぐわかるらしいけれど。
とまれ、どんな事情があったかはさして重要ではない。大叔母が僕を好いてくれていたかも些細な問題である。僕も大して感謝しているというわけじゃない。
しかし可愛がられたのは事実である。
そのことについて僕はなんというべきなのだろう。
もう大叔母に会うことはない。
ただそれだけのことなのに。
上手く言葉にできない。
涙は出ない。
言葉もでない。