オリ3 そして紹介文

読み返してこりゃひでえ、と思ったので一応。
 当然のことながら極めて狭い主観により書いた。極めて狭い主観というのは好みではなく単語の持つ範囲の広さ(曖昧さ)や単語の存在前提の話だ。
 僕は作品というのは作品自体で成立していないといけないと思っている。後書きで作品の説明をしたりしている作品はカスだ。後書きで書くくらいなら本文に盛り込め。そう思ってる。そりゃ面白いにこしたことはないけれど、後書きやら前書きやらは言うなれば蛇足で、本来あってもなくても、面白かろうがつまらなかろうが、作品の優劣には微細の影響も与えないものなのだ。
 ここで直接紹介文の話に移る。
 確か紹介文には、容量の水増しを防ぐ意味で本文にそのまま続いてはいけない、みたいな規定があったと思う。上限を用いる以上当然の措置だけど、直接続かなけりゃいいのか、とか思うわけで。
 紹介文を粗筋のように書いていれば話の流れや人物像がまっさらな状態よりも色づけ出来る。僕から言えばこれは直接本文につなげるのと何ら代わらない。他に、本文をやや難解に見せておいて、紹介文で与えたほのかな情報で理解させる、という手も使える。これは本来理解するのに必要だった再読を排除することに繋がる。これが上限の水増し以外のなんなのか、僕は答えを出せない。人物や物語の色づけやわかりやすさや空気感、そのどれらも容量さえあれば解決できる問題なのは見逃せない問題ではないかと思う。
 なので、僕からすれば紹介文は極力作品の内容には触れないものになる。そうすると、
「紹介文は作品を書くのとはまた別の力が必要になる」
 ってのは正しいと思うけど、それってあってもなくてもいいんじゃねえの? と思うにいたるのだ。
 
 疎外感というのは、紹介文という今回の試みが各所で好評である、という風評を聞いたて感じただけの話です。実際のところはよくわかってなかったり。議論してる場所やらログ持ってる人いたら情報待ってます