上手くなるための方法論

とかなんとか。
近頃、割かし良く見るので。

 少数派なのか多数派なのかはよくわからんけど、僕は数書けば上手くなると思ってます。
 要するに目的意識の違いだろ、ってことでおそらく一応の決着はついてると思うのですが、まあそんなことは置いておいて、僕はノム様んとこでみた脊髄反射的な創作ってのがよくわからなかったりします。なんで、ちょっとそのあたりを聞いてみたいわけで。
 反射ってことはよーするに思考の省略だと思うんですが、んなことして作品が生まれるってのがどうも信じられないんですよね。どんな文章であれ、それをタイプするにはそれをタイプしようとする意思が入るわけじゃないですか。矛盾するじゃないですか。思考を必要としない作品ってないんじゃね? と思うですよ。
 あと、これはどこの日記でも挙げられてなかったんですけど、僕は数書くことによって磨かれるタイピング速度の上昇も作家の腕に含めてもいいと思ってます。こんぺなどで締め切りがある場合は時間を捻出するのも作家の腕なわけですし、速度が速くなれば同じ時間で色んなこと試せるわけで。書き始めの頃は書けば書くだけ上手くなって、次第に頭打ちになるってのは、タイピングの早さってのも考慮されてんじゃないかと思います。だって、早く打てるとなんか上手くなった気がするじゃないですか。エンターキーをバチンッて叩いてる人ってなんかカコ悪く見えるじゃないですか。
 あとね、普通のタイピングの練習じゃなくて、文章を書くという事で磨かれるタイピング速度ってのは、文章を紡ぐことに特化してます。文章を書くことによってタイピングが出来るようになった人は皆そうだと勝手に信じてるんですが、キーの場所をイチイチ覚えてるわけじゃないと思うんですよ。場所はわかるんです。でも、やっぱQとかCとか押しづらいわけで、つーか、英語のスペル入力する系のタイピングはかなり速度下がります。
 もちろんタイピングオブザデットって面白いよね、って話がしたいわけではなくて、自分の文章ってすげえ書きやすいってことが言いたい。それこそ考えた文章を同時に形にしてるのかと錯覚するくらい。これって、逆に言えば新しい文体や書き方に挑戦しやすいんですよ。楽に書いてるときってすぐわかるもん。あー俺いま楽してるなぁーって。

 で、今俺は「ノム様よくあんな長く書いたなぁ」と思ってます。説得力をもたせるために書き始めたのに伝わらなくてもいいか、とか思ってます。投げやりです。最悪です。でも俺だけは俺を見捨てたりはしない!
 つーことで、説得力は皆無かもしれんが、僕は「あの手この手で書けるようになる」という意見に、執筆速度を加えたいと考えてる。