これについて、なげーぽんとこで絵と文章、色ってのが出てる。最後のは僕だけれども。
今更これについて書こうと思ったのはちょっと僕が勘違いしていた節があるからです。
というのも、僕は「文章どのように受け取っているか」ではなく「情報をどう処理しているか」であると解釈してしまったのです。だから僕は色であると言ったんですが、どうもそうではなかったらしく。
つーわけで、前言撤回とまではいいませんがある程度の言い直しを加えた上での結論を述べておこうと思います。
まず、基本はやっぱ絵か色じゃないでしょうか。これは、僕らが最初に文章情報って媒体に触れるのが絵本か口頭で語ってくれる御伽噺であるという認識のものです。昔読んだ絵本とか、聞いた御伽噺とか、誰かに語れと言われればいくらでも語れます。けれど、僕らは文章としてそれを覚えているかと問われれば答えはNOなんじゃないかと思うわけです。絵本のページや、動画を喚起させ、そこから導かれる文章を口から出しているだけなんじゃねーかと。

そっから徐々に僕らは絵の少ない学校の教科書や市販の小説などに触れていって、今の文章の受け取り方になる、と。その証拠、という訳じゃないですけど、なげーぽんとこで言ってる「文章の受け取り方」ってのは訓練次第でどうにでもなるわけで。基本的に僕は色で物事を見たり覚えたりしてますけど、SSやら小説を読んでアニメのように音声も動きもありで受け取ることもできますし、なげーぽのいうように文章で受け取ることもできます。これは一人勝手に悦に入って映画見ながら台本作ったり、他人様のSSやら小説やらを、テーマそのままに自分の文章で書きなおしたりとかしてたことと関係あるんじゃねーか、と思うわけで。