獣的小宇宙

 親戚の中では、祖母の姉に可愛がってもらったと思う。
 八ヶ月、二千八十グラムで生まれた。その時の記憶は、勿論ない。
 母はそれなりの名家の生まれで、僕が初の子供だった。生まれながらに親戚たちの期待を受けた。
 
 未熟児だったせいだろうか。よく体調を崩した。らしい。そのあたりのことは全て母親から聞いた。
 最も危なかったのは八ヶ月のとき。手術以外に助かるみこみはない、と医師に言われた。しかし手術はしなかった。すでに衰弱しきった僕の体は、それに耐えうるだけの体力がないと判断されたからだ。
 病院で死ぬか、家で死ぬか。
 母は半分だけ後者を選んだ。
 祖母と祖母の姉に僕を預け勤めていた会社に休職願いを出し、『イタコ』と呼ばれる老婆の元に僕を連れて行った。
 僕は具体的にどこが悪かったのかは知らない。けれど、内臓だと思う。老婆はその筋では有名で、取り巻きのような人間が多数いた。
 最古の記憶は、その老婆の家。古い作りの天井にささくれだった畳の感触。布越しに押し付けられた老婆の熱い手の平。そして、高層ビルを思わせる―――人人人人人人人人人人人人。無数の目が僕をみつめていた。
 僕は泣いた。
 火のつくように泣いたはずだ。
 助けて。助けて、と。
 けれど、誰もが無言だった。身じろぎひとつしない。僕の声は届いているはずなのに。
 原始の感情は恐怖。
 徐々に老婆の手の感触がクリアになって、背中にあたる堅い畳を強く意識した。潰されてしまうのだとわかった。
 勿論潰されてなどいない。
 そうでなければ僕が今存在するはずがない。
 存在するはずがないのであるから、僕は手術をしないまま健康になった。
 一ヵ月後健康になったと報告にいったとき、老婆は僕に名前をくれた。
 本来死んで当然であるのに行きつづけた僕に、親戚達も名前をくれた。
 後者についてのみ語ろう。前者は、誰も僕をその名で呼ばないから。
 憑かれ仔。
 もはや人ではない、そういう意味だ。
 僕はそう呼ばれていた。
 初めて持った感情のせいだろうか。笑うことは稀で、それが拍車をかけた。自我を持つのが早かったせいかもしれない。
 母親の実家はそれは大きなもので、それに見合ってか親戚も多かった。五十以上はいたはずである。
 母や祖母を除き、大勢の親戚のなかで、最初に言ったとおり祖母の姉が一番僕を可愛がってくれた。
 理由のようなものについては、後に知ることになる。

 憑かれ仔。
 他の親戚達が僕を気味悪がりそう呼ぶ時代、祖母の姉だけはそうではなかった。
 彼らの嫌がる僕の態度を、彼女は僕にこう言った事がある。
『生まれるのが早すぎて、肥料を忘れてきてしまっただけなのにね』
 彼女だけが僕の名前を覚えていたとしても、僕は決して驚かない。