流行らしいので

小説(一次、二次を問わず)を書く上で、理想とする作家は? ってのを考えてみようかと思います。(ネタ元:仮面の男さん せいるさん)

 理想に一致するという作家さんというのは正直なとこいません。この人のここは取り入れたい、とかいうのはちょくちょくとあるので、まあそのあたりから。

 僕が語るとすると初期の村上春樹は外せない。「風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」の二作だ。この2作だけがモチーフがない。テーマと言い換えてもいいけど、早い話中身がない。
 が、もっと早い話ぼかぁアホなのである。読んだ後に隠されたテーマを考えたりとか検証したりできない。さくっと読めて(インパクトではなく話の内容が)心に残らないというのがベストなのだ。なにせ、僕はいまだに飛行機からスチュワーデスを放り出す、という件を冷静に読むことができない。
 それに、なにより、曖昧模糊としたある種のセンチメンタルな感情を文章化するという方法を拙いながらに学ばせてもらった。
 つまり、僕が書きたいのはそういったものだ。
 歳をとり、色んなものと折り合いをつけていけるようになると忘れてしまうような感情なのかもしれないけれど、今の僕はそういったものを大切なものだと思っている。
 師匠のも、アプローチが違うけど、同じにおいがします。というより、その曖昧なものがもっと僕に近い色なんだと思う。僕はもう100回以上も読んでいるというのに、彼の「春夏」を読むと胸をかきむしりたくなる。嫉妬や喜びや妬みや、ほかの色々なものが、ここから出せ、と激しく叫ぶからだ。
 根本で、僕はこのふたりを神聖視している。意識せずにはいられない作家だ。
   
 文章では、田中ロミヲ。あの風景を切り取ったような、鋭利で、情け容赦のない切り口(語り口といったほうがいいのかも)がすごく好きだ。これは僕が文章というものに綺麗さを求めているからだと思う。機能美でもいい。そこが特化しすぎてて、情けも容赦も、果ては性さえ入らない。綺麗。
 性で思い出したけど、そのあたり僕はかとりんとちょっとアプローチが異なるみたい。僕は、綺麗のために、中世的な文章というのを目指している。目指しているだけ。満足できたためしがない。
 PIRO-SUKEさんの楽園日記なんかはかなり中性的な文章だと思う。良い。

 ディティールや構成といった面では、理系文型からお一方ずつですが宏方さんとSLIDEさんのふたり。
 丁寧すぎて目が眩む。

 独自路線を走っているという点では真船さんはすごい。もうただすごい。

 単純な好みでいうと最近の竹ちんとか、最中さんとかにっけるとかホント多すぎて挙げられません。


 とまあ2次関係から結構あげましたが、やっぱりプロから学ぶところはかなり多いと思います。ヴォネガットの一切れのパン(コップ一杯の水だっけ?)でもいいから、登場人物に何かほしがらせなさい、とか目から鱗でしたよ。
 本を読まない僕ですかこれなのですから、もっと読んでる人はもっとあるんだろうなぁ…要勉強です。