オリコンに出そうと思ってたとですよ

 ダイヤ乱れの踏み切り。電車はこない。けれどおりた踏み切り棒は確かに僕を拒む。彼の仲間が振ってきて僕は空き缶を見つめ崩れる砂山をおもう。もうめくることのできない聖域が放物線を描いて泥水となり僕はBGMをかき鳴らす。踏み潰す水溜りのビート。カンカンカンと彼が呼ぶから僕は走らなければいけない。息を切らせ、レールの上の小石を蹴ってどこまでも。彼の声が枯れるまで。
 雫垂らす雑草は懐かしい思い出。引き抜き君に届けよう。穴の開いたアーケードの商店街。開かないシャッター前を覚えてる? 終電から始発の間の長い休息。いつでも僕らはそこにいて電車を待ってる。雲に挟まれ逃げ出す彼に体を晒した。小石は割れてしまい僕の前から姿を消して。僕を呼ぶ声すら聞こえない。
 停車駅を間違え踏み切りで君と合流するような天気予報。僕はそれをだれよりも愛してる。AMとFMの間にスイッチを入れると流れるノイズの混じる放送を、そう、だれよりも。撤去され運ばれていく放置自転車が最終的にたどり着く場所のように。
 雨は強く降っている。僕は小石の上に寝転び雨と一緒に沈んでいく。静かに。
 目を開けると空から垂れる無数の糸が見える。ひっぱれば雲を近づけることができそうに思う。けれど腕はそこまであがってはくれない。望んだことはある。ここから誰か僕をすくい上げて、と。
 吹きだす。ここから。
 吹きださずにいられない。
 それはつまり冬の地下鉄で吹く生暖かい風のようにってことだろう。心の隙間を吹き抜ける風に舞い上がる思い出。逃げ場を頭上に探して地上へと出て行く。何故か僕の中では決まってそれは君のスカートをめくりあげる。
 君は思い出で優しさでぬくもり。それでいて、苦痛。
 助けてくれよ。僕をここから。
 Do it.Do it.Do it!
 どこでなにを救うんだい? やっちまえやっちまえやっちまえよ。
 
 当たり前かもしれないが踏み切りで途中下車してふたりで歩いた。桜の花びらと照りつける太陽と紅葉と真っ白い雪も一緒。電車の振動を覚えているのか足は現実を踏みしめることが出来ず隣を歩く君が夢なんじゃないかと思う。
 試しに頬をつねってみようかと考え、頭を振ってすぐに打ち消す。
 現実も夢もかわらないじゃないか。
「暑いのに、どうして雪が溶けないんだろう」彼女は言って照りつける太陽を手で遮った。
「そういう駅だからじゃない?」
『四季駅』
 立派な建物にはそうあった。
 環状線の電車で十字に線路が走っている。乗り継いだ先は環状線で、時計回りの電車が走っている。
 コンパスで円を描くと針を刺したところに小さな穴が開く。そこがここだ。
 勿論北に冬があり南に夏がある。春は東で秋は西だ。火のついたマッチを水の中に落とすと火が消えるように、それは当たり前のことだ。
 夏駅の方向には丘がある。その丘ではキツネの結婚式を見ることができる。言うまでもなく他の四つの駅の方向にもある。けれどその光景は夏駅方面でしかみられない。何故なら夏が一番草の感触が心地いいからだ。濡れたがりはいつもそこにいる。
「ねえ」
 彼女がそう聞いたとき僕はキツネの結婚式を見ていた。夕食の匂いに釣られてやってくる猫のように雨雲が姿を現し始めた。
「なに?」
「電車に乗らない?」
「どの電車?」
 そう聞いた。ここからどこの駅へ行くのか、それはとても重要なことだ。けれども彼女にとってはそうでなかった。
「次にきた電車に」
 少なくとも、僕よりはそれに重きを置いていないと信じることはできた。

 一年の間で最も印象深い時間は、と問われて答えを口にすることはできない。僕は彼女に付いてそれを学んだ。彼女への思いは月と同じなのだ。消えたり欠けたり満ちたり、する。逆も同じ。
 それはとても大切なことだ。浜辺に綺麗な満月が踊るとき、僕らが別々にいることもある、ということは。
 雨が桜を土へと叩きつける。よたよたと流れる小川にその花びらが流れ小石に貼り付けになるときに、あえて僕は夏を語りたくなる。ロケット花火が甲高い声を発し海で断末魔の叫びをあげるとき、冬を連想するのに似てる。春に夏を思い夏に冬を思い冬に秋を思い秋に春を思いふと彼女を思う。
 ふと。
 どうして豆腐に醤油をかけるんだろうとか、どうして探偵物にかたゆで卵が必要なんだろうかとか、そんな疑問なんかと同じように、ふと思う。
 どうして、彼女が僕の中にいるんだろう、と。